「遊戯王GX」(ターン82)感想
自分で自分を”首席”と呼んだり、「存在意義をかけたデュエル」と言っている三沢。今回心理面で感想を述べたいと思います。
エドが「認めてもらえないエリート意識」と言ってましたが、少し違うと思います。というか、誰でも認めてもらいたい自分というのをもっていると思います。(十代はワクワクできればいいという考えなので、少し違いますが・・・・・)。認めてもらえるからこそ頑張れる、そしてまたそれを認めてもらえるからまた努力を重ねられ、またそれも認めてもらえる。・・・・・恐らく三沢はそうやって強くなっていったんじゃないかと思います。と同時にそれは自分の居場所を知る(存在意義を感じる)ことになります。
それが急に認められなくなり、ましてやその存在さえ薄くなりつつある。・・・・なんて状況になると誰でも焦るのではないのでしょうか?エドの「なぜ斎王は”光の結社”に入れようとしない」という言葉が衝撃的で、こだわるようになったと思います。(エドはその後、斎王の心理的トリック(三沢にはなにもしなくても必然的に光の結社に入ると計算)に気付き、三沢の行動が気になりはじめたと思います)。
実際、光の結社に乗り込み、周りからバカにされた三沢。あれでますます自分を認めてもらいたいと思ったでしょうね。(と同時にいつもあんな感じで周りからいろいろ言われていたと思う万丈目の精神力には脱帽。もはや尊敬の領域です)。そして、自分を認めてもらいたい為に”光の結社”に入る。彼にとってはそういう生き方をしてきたから・・・・と思うとそうかもしれないと思ってしまいます。ま、これも一種の洗脳でもありますけどね。
だから残念だったのが、十代たち。三沢がいろいろ十代たちに接触を試みても(自分を認めてもらいたいことも含む)、彼らは自分達の世界にいます。もう少し三沢の気持ちになって行動をおこしていれば三沢が”光の結社”に入る事もなかったんじゃないか、と思ってしまいます。結局三沢は十代たちにとってそんなに大切な仲間じゃないってことかとも思いました。
ところで、三沢が自分を認めてもらえると終わりのほうで扉を開けるシーンがありましたが、最初、彼を迎えるのが女子ばっかり・・・・・三沢は実は女好きというのが露呈してますねえ(笑)。
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